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2007/09/23 の記事 (ニュース)
麻生支持者とポピュリズム政治



「マスコミを信用するな」「麻生謀略説は世論操作」「麻生が負けるなら自民の悪口言う」北村弁護士が新宿で応援演説が大人気!!
http://blog.livedoor.jp/news2chplus/archives/51001999.html

参議院戦の時といい今回の総裁選といい、このブログはなんか気持ち悪い
でも北村の話には素直に感動した
ただそれは内容なのかと問われればまた違う
北村弁護士という人間、そして彼と麻生太郎という人間の関係に感動したという方が正しいだろう



真紀子にしろ小泉にしろ演説がうまい人間は信用できない面がある、いやむしろ不安感を煽られるといった方が正しいだろうか
政治家として人を惹きつける魅力というのは重要である
政策通であるだけなら、政治家じゃなくても官僚にも学者にもいくらでも優秀な人材がいる
しかし、それを伝えたり実行することができる人間的な魅力を兼ね備えた人間は限られており、そういった人物が政治家なり首相なりになるべきであろう

しかしながら、自分の考えを伝えることや実行することに長けた人物の考えが正しいとは必ずしも言えない
それはヒトラーであったり毛沢東であったり、歴史に名を残した独裁者を振り返っても明らかである
そしてそれは政治に限ったことではない
声高に他人の意見を斥けてまでも自分の主張をできる人間が、あたかも正しいことを言っているような錯覚に陥ったり、多数派の意見になることはよくあることなのだ

最近のネットでの麻生人気を見ると一種のそういう気持ち悪さを感じる



小泉以降のワイドショー政治、言ってみればポピュリズムには怖さを感じる
演説のうまさやルックスの良さ、個人が持つカリスマ性…そういうものにあまりにも世論が影響されすぎてはいないだろうか?
そこには長期的視点に立った政策、またそれへの関心などは存在していないように見える

ただ麻生人気に関しては、決定的に真紀子や小泉と違うのは、マスコミ主導で作られた人気ではないということ
むしろそれに反発する人の間で人気が高まってる
そして麻生支持者は「ネット」という武器を持っている
その武器を手にしている彼らの、おそらくその多くは若い世代であって、また自分達は「情報強者」であるという選民思想のようなものを持っている

彼らは自分達以外の多くの大衆は愚かであると考える節がある
実際に彼らがどれだけの影響力を持っているのかは分からない
私もネットを頻繁に利用する1人であり、彼らの言動を目にすることが多いために、その影響力を過大評価してるだけなのかもしれない



そして彼らはいつも敵と戦っている
マスコミ、中国、韓国、北朝鮮、在日etc…

しかし彼らが愚民とみなす一般大衆はそんなことには関心がない
政治を語る上でまず重要視されるのは日々の生活なのだ
それは間違っているのだろうか?いや、そんなことはないだろう

国民は何よりもまず日々の生活の安定を求める
自らの生活への不安感が取り除かれて初めて、自分が属する言わば共同体への愛着が生まれ、誇りを感じ、ナショナリズムが生まれるのだ
そうして築かれたアイデンティティからナショナリズムが生まれ、外交などといった自らが属する共同体の対外関係へとその政治的関心は発展する

この経緯が逆になった国家は不健全である
北朝鮮のような国家を思い起こしてもそれは明らかであろう

つまり、先の参議院選で自民が大敗したのは当然なのである
マスコミの扇動などではない、年金問題などにより自民に日々の生活を託すことに多くの国民が不安感を抱いた結果なのだ

多くの麻生支持者はその選民思想により、そのことに気が付いていないのではないのだろうか?



いつの時代も社会への不満や閉塞感を感じる若者はナショナリズムへと走る、そしてその背景には選民思想がある
若者は自分達が進歩的であると考えるのだ

中国などに至っては、それを政治的に利用しているのである
またそういった行為は政治がうまく立ち行かなくなった際の常套手段でもある

麻生がそのようなことを考えているかは定かではない
しかし、麻生支持者はそのような状態に陥ってはいないだろうか?



ここで単純に麻生=対特亜強硬派と仮定し、その前提で話を進めてみる

私も麻生の思想は正しいと考えるし、同意できる面もある
しかし、今はその思想を政策へ反映する時期なのかと考えると話は別である

先の大戦が残した負の遺産を解消するにはまだ早いのではないだろうか
まだ当時を知る人間が生きているのだ
先の大戦を客観的に評価し、それを政策に反映させるには早過ぎはしないだろうか

愛国的思想は必ずしも政策と一致しないのである

福田や民主は売国奴なのか?

政治にはあらゆる側面から見て、自分の主義主張と異なることをしなければならない時がある
時期尚早と判断するならば、自らの思想信条と異なる政策を採らなければいけない時がある
国のために正しいと分かっていることをやるにもタイミングというものがある
それを間違ってしまうと、国を誤ることになる

国家利益というのは目先のことに捉われずに、50年後、100年後を見据えて考えるべきものではないだろうか?



麻生にそう言ったヴィジョンがないと言いたいのではない
言わば狂信的にも見える麻生支持者にそういった思考が欠けてはいないだろうかと憂慮しているのである

麻生の街頭演説のほぼ全てがネット上にUPされている
しかしそれに比べて福田の演説をネット上で見る機会は極端に少ない

麻生支持者はまさに情報強者として、またそれを背景とした選民思想のもとで、自らの力で麻生を首相にしようと躍起になっている
この現象を新たな政治運動の形として、単純に好意的に捉えていいのか少し考える必要があるのではないだろうか

ここで考えるべきは、その政治運動のスタイルではない
今現在、情報強者として政治運動を行っている者たちの思想である

情報強者としての選民思想を持つ彼らが大きな力を持ち、ポピュリズム政治が彼らに迎合し始めた時、果たして彼らの思想とその影響力は国を誤った方向へ導くことはないだろうかと不安感を覚えるのである






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テーマ:政治家 - ジャンル:政治・経済
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